こんにちは。
ギラン・バレー症候群のリハビリ治療を続けているkazumin(@kazumi16.com)です。
私が、このギラン・バレー症候群になって、治ると信じていることを書く理由は、私の備忘録でもあり、私と同じ病気になった方の参考になればと思って、書きます。
そもそも「ギラン・バレー症候群」ってどんな病気?
詳しいことはこちらが参考にして下さい。
私の症状は、体全体の痛みと四肢の痺れでした。
ペットボトルがあけられないことに気付きました。簡単にあけられたのに、どうして?と思ってしました。四肢の感覚が鈍いです。
常に痺れてる感じで歩くこともままなりませんでした。
あとは、スマホのフリック入力が上手く出来なくなってました。指先の感覚異常のせいです。
今までよりも、時間がかかります。
今現在も痺れが残っていますが、もう、ペットボトルはあけられるようになりました。コンビニにペットボトルをあけるオープナーも売ってのを、発見したくらいです。
どんな治療をしたのか?
大学病院、リハビリテーション病院、どちらとも理学療法、作業療法を行いました。痺れをとる薬の内服の継続をしました。
大学病院では、理学療法、作業療法を1日ずつ20分から30分でした。
その時は、まだ「ギラン・バレー症候群」の疑いでしたので、ガッツリ、リハビリが行えませんでした。
他の病気がないかの確認をしながらでした。
転院前に病名が「ギラン・バレー症候群」と決まり、リハビリテーション病院へ転院できました。
リハビリテーション病院では365日リハビリする
大学病院からリハビリテーション病院へ転院後は、生活ががらっと変わり、毎日がリハビリ生活になりました。
私は理学療法と作業療法をやります。私の場合、痛みと痺れのため動きの制限があり、耐久力、平衡感覚が弱くなっていています。
リハビリテーション病院では、それぞれの担当者が付き、一コマ40分から1時間を4回から3回を1日でやります。
体は疲れましたが、リハビリで出来ることが増えてきます。
担当者からも親身になってもらい、自分に足りないものを教えてもらいました。
最終目標にたどりつくには、毎日のリハビリだけでは足りません。なので自主トレが必要になってきます。
目標に向けて個々のプログラムを組んでくれる
私の最終ゴールが仕事復帰であるため、仕事でやることをリハビリメニューに取り入れてくれました。
普通では思わなかったことなど、今まで出来ていたことも、4ヶ月も休むと体がついていけまん。体も頭もなんですね。
頭がついていないことがとてもショックでした。認知症の検査でもあることを毎月やりました。転院してきた12月のテストが満点がとれませんでした。わかっていても、言葉にあらわすことができませんでした。
自分がこうなんだから、高齢者なんて、もっと大変なんだろうと思いました。
日常生活を取り入れて、実際に料理を作ること、掃除、洗濯などもしました。
この時に、フライパンが重たくて、片手では無理だったことも分かりました。
退院後は軽いものが売っているので、フライ返しなどの器材も購入しました。
まとめ
この病気になっていなけれは、フライパンの重さなんて感じなかったし、ペットボトルの明け方の工夫もしなかったです。
私は、比較的軽い症状でしたので、トントン拍子にすすんでいったようです。
人との関わりが減ると頭も使わなくなるのです。
刺激を受けて、新しいことにも挑戦出来た、入院生活でした。
もちろん、出来ることと出来ないことはありましたが、凹むことも、多々ありました。
退院後もリハビリ外来をして、理学療法、作業療法士からのアドバイスのもとにすすめています。こちらも後半月で終わりかな?
今日も、筋肉痛が残っています。リハビリ勤務ですが、4月26日に午前中だけ仕事復帰しました。
とにかく、自分をあきらめないで、信じることの大切さを思った、半年間でした。
いつも自分では、「絶対に治る」と信じて、やっていました。
アイキャッチ画像はリハビリテーション病院の作業療法で作ったカッパです。過程は折り紙を折っただけです。ほぼ2ヶ月間かかりましたが、これが頑張ったリハビリ生活のあかしです。
自分の頑張りもそうですが、まわりの人達の援助もあったお陰でここまでやってこられてます。
ありがとう。感謝します。
もう少し、リハビリを継続していきます。
今日も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。